サイダー・シャンメリー・ノンアルコール飲料など「ココロのうるおい」をお届けする飲料メーカー

トンボ飲料の1世紀以上にわたる歩み

トンボ飲料の1世紀以上にわたる歩み

トンボ飲料の1世紀以上にわたる歩み
1896

近代オリンピック第1回アテネ大会が開催された年、富山でラムネブランドが誕生

翠田辰次郎が、富山市総曲輪で「翠生舎(すいせいしゃ/トンボ飲料の前身)」を創業。ラムネ製造販売を開始。

当時、富山市の中心街・総曲輪通りにあった「ミスタのラムネ屋」の店頭には、直径約1mの地球儀にトンボが止まっているディスプレイがあり、通りを行きかうハイカラ人の目を惹きつけたと言われています。

トンボラムネ(リターナブル瓶200ml)

トンボラムネ
トンボラムネ

創業者・翠田辰次郎による命名。真夏の太陽のもと、涼しげに水面を飛び交う清涼感あるトンボこそ、ラムネの名に相応しいと考え、「トンボラムネ」と命名。

“トンボ”その名の由来

1921

翠田炭酸飲料株式会社を創立

新工場

富山市桜町に機械化した新工場・本社を建設し移転。

1930

ミスタ式底玉ラムネ(リターナブル瓶200ml)

ミスタ式底玉ラムネ
ミスタ式底玉ラムネ

従来の瓶より胴部分を長く取り、洗浄効率をアップさせた。

「底玉式」ラムネ瓶の工夫
杉材の新「玉押し」(イメージ)
杉材の新「玉押し」(イメージ)

当時のラムネ瓶は、飲用後に回収し再利用するリターナブル瓶。しかし回収後の洗浄の際、ビー玉をとどめておくくびれ部分がネックとなり、洗いにくいことが問題となっていました。そこで初代社長・辰次郎は新たな瓶を考案。窪みを底部分に移動させることで、洗浄効率を劇的にアップさせることに成功します。この瓶は衛生面が改善されると評判になり、瞬く間に全国のラムネメーカーに広まっていきました。

また、底玉瓶はビー玉が底まで落ちるため、泡が吹きやすいという欠点がありましたが、辰次郎は木目の荒い杉材製「玉押し」を考案、木目を透かして炭酸を逃がすことでこれを解決しました。

ラボンサイダー(リターナブル瓶340ml)

ラムネと並ぶ主力商品として、以後順調に売上を伸ばしていく。

ラムネに続くラインナップとして、初代社長・辰次郎が考案。ラボンとは、南洋の常夏の島に実る、「この世のものとは思えない最高の果実」という空想上の果実。「レモンのような、ピーチのような、オレンジのような・・・不思議な味わい(辰次郎・談)」がコンセプト。銭湯で、商店街の店先で。遠い南国をイメージしたトロピカルな味わいに、地元・富山県で一世を風靡(ふうび)し、昭和40年半ばまで続くロングヒット商品となりました。
1940

戦時下の影響で砂糖が供給制となり、生産に打撃。

1943

諸原料の入手が困難となり、事実上の営業停止状態になる。

1945

富山大空襲により工場が焼失する。

1946

ラムネの生産再開

焼け野原になった富山市において、直ちに工場を再建。

戦後復興の努力 空襲で本社屋が焼失するも、2代目社長・翠田邦志はすぐさま焼け跡に工場と営業所を再建し、バラック小屋からの再出発を図ります。そして、工場の一角でサッカリンを製造し、それを甘味源としたラムネを販売開始。乾ききった焼け野原の街で、トンボラムネは人々の喉を潤し、日々の活力になったといいます。こうして、戦後短期間のうちに翠田炭酸飲料は蘇ったのです。
1953

ラムネの生産がピークを迎える

オート三輪でのラムネの配達

当時主流だった、オート三輪での配達風景(運転は3代目社長・康志)。

ラムネの生産 ラムネのピーク時の全国生産量は約82,000Kl。当時の炭酸飲料の約半数を占め、メーカーも全国で1,000社を越えていました。しかし、コーラなど外資飲料が普及するにつれ生産量は減少を続け、2003年には約17,000Klまで落ち、メーカー数も60社と減少していくのでした。

アイスクリームの製造・販売を開始

ラムネに代わる主力商品として着手。昭和40年代まで製造販売を行う。

減少傾向にある炭酸飲料に代わる商品として、アイスクリームの製造販売を開始。アイスクリーム部門を独立分社化、カップアイスやアイスキャンデーなど多種類展開で順調に売上を伸ばすも、次第に大手に押され徐々に衰退し、昭和40年代末に販売を終了します。しかし、並行してアイススケートセンターの運営も行うなど、「トンボアイスクリーム」は富山県内で一時代を築きました。
アイスキャンデーの下敷き
見ているだけで食べたくなる、ノベルティグッズの下敷き
保冷ケース
内部は魔法瓶の構造で、ドライアイスを使って保冷していた
トラック
当時使用していたアイスクリームの運搬用トラックに乗る幼少時の5代目社長・章男
1962

株式会社トンボ飲料創立 清涼飲料部門を強化

富山市下赤江町(現所在地)に資本金6千万円で創立。新工場を建設し移転。翠田炭酸飲料の清涼飲料部門を継承し経営を開始する。

1965

シャンメリーの製造・販売を開始

シャンメリーとは

当時は“お酒ではないシャンパン”ということで「ソフトシャンパン」と呼ばれていた。歓楽街の土産物だったものを、一般家庭向け市場へ展開していく。

シャンメリー(ワンウェイ瓶360ml)

コルク栓のシャンメリー
販売当時のシャンメリーのびんを再現したもの

当時の名称はソフトシャンパン。写真は販売当時の瓶。本家のシャンパンと同様にコルク栓に針金の栓止めが付いていた。

シャンメリー市場の確立
シャンメリー

シャンメリーの誕生は1947年の戦後間もないころ。進駐軍が飲んでいたシャンパンをヒントに東京の飲料業者が開発したのが始まりです。当初は「ソフトシャンパン」と呼ばれ、夜の歓楽街を中心に飲まれていた大人向けのソフトドリンクでした。そんな中、沸き立つ炭酸の華やかなイメージに目を付けた当時の社長の翠田康志は、家庭のハレの日の乾杯飲料としての利用を思いつきます。

クリスマスや誕生日の食卓を華やかなものにし、子供たちを笑顔にしたい…こんな熱い思いで「主婦の店・ダイエー」の中内功社長(当時)の評価を獲得。ダイエー全店に採用となります。このことが現在に続くシャンメリー業界ならびにマーケットが確立する基盤となったのです。

家庭用ホームサイダー(リターナブル瓶340ml)

当時の取扱店の看板
当時の取扱店の看板

当時ホームサイダーを販売し、家庭への直販を進めた。

ビン入りミルクコーヒー(リターナブル瓶200ml)

銭湯、劇場、食堂、駄菓子屋などで大好評。

ドミルカ(リターナブル瓶340ml)

ドミルカ

画期的なメロンクリームソーダで大ヒットした。

1972

「RCコーラ」販売開始

米国ローヤルクラウンコーラとフランチャイズ契約(北陸エリア)を締結。あわせて炭酸飲料製造ラインを更新し、ルートトラックの総入替などを行う。

RCコーラ(リターナブル瓶340ml)

RCコーラ瓶

中学校、高校周辺の「よろずやさん」のマーケットで大ヒットした。飲み応えのあるキングサイズで、王冠の裏に当たりが付いていた。コーラの他に、オレンジ、グレープ、メロン、チェリーなどを展開。

時代を彩った“RCシリーズ”

コーラの世界第3位のシェアを誇るローヤルクラウンコーラ(通称「RCコーラ」)の特徴は、甘み・後味の深さ、炭酸の爽快さ、そして何より340mlという飲み応えのある大容量サイズ。これを武器にランチェスター戦術に基づき、学校周辺マーケットへと展開。中学校、高校周辺のいわゆる「よろずやさん」で学生を中心に大ヒットしました(コーラ以外にも、オレンジ、グレープ、チェリーのラインナップを展開)。当時の富山の若者が愛する飲み物の象徴となっていました。

ティックオレンジ(ワンウェイ瓶200ml)

コップ型ビン容器に入ったみかんのつぶ入り飲料。

多種多様な瓶入り飲料“リターナブル瓶”全盛時代
リターナブル瓶

1960~80年代はRCコーラの他にも、さまざまな瓶入り飲料を販売していました。クリームソーダ「ドミルカ」、婚礼会場用「ラブリー」、RCと並ぶキングサイズ炭酸飲料「Tom's(トムズ)シリーズ」など。瓶飲料の全盛時代、トンボブランドは県内商店や映画館、銭湯を中心に人気を博しました。

その後、こうした商品は個人商店の撤退、缶容器の普及などにより、徐々に姿を消していきます。ガラス瓶飲料は時代の流れとともに減少の一途をたどり、清涼飲料業界も新たな局面を迎えていくのでした。

1980

受託生産の開始

協和発酵工業株式会社(現・協和キリン株式会社)との間で、健康飲料加工契約を締結。

受託生産事業の発展

将来の健康飲料分野への参入を見越して、当時としてはまだ珍しかった品質管理室を設けていたことが認められ、大手メーカーと初の受託加工契約を結ぶことに。そのコラーゲン入りダイエット飲料が大ヒットしたことを受け、本格的な受託生産事業を開始しました。
この後、多品種・小ロット生産が可能な設備・生産体制、製品の企画段階から提案できる開発力といった、ハード面とソフト面の充実により、他社には出来ない受託生産を推進していくことになります。

1984

居酒屋サワー(ワンウェイ瓶360ml)

居酒屋サワー

焼酎割用ミキサードリンクとしてレモンサワーやライムサワーなどを販売。
※後に多品種化。PETボトル1Lと500mlへリニューアル。(現在は終売)

1990

新本社屋と第2工場が完成。

1993

ワンウェイ瓶ラムネの量産設備が完成

吉兆葉(ワンウェイ瓶500ml)

吉兆葉

イチョウ葉エキスを含む健康飲料。(現在は終売)

1995

ミニドリンクラインの設備改善。健康・美容飲料に参入。

1996

健康飲料開発室を設置

現在の開発部。受託生産において、企画レベルからの開発力を強化。

1998

第3工場完成 口栓付きパウチ充填ライン新設

トンボ飲料工場

新時代の容器に着目し、口栓付きパウチ飲料(清涼飲料・ゼリー飲料)に参入。

パウチ容器の特徴
口栓付きパウチ

口栓付きパウチは、ストロー(口栓/スパウト)付きのアルミフィルム材質の容器。
軽量で割れず、携帯やアウトドアに最適。飲み終わった後の空容器が小さくなる(体積95%減が可能)という特徴があり、清涼飲料の容器として利便性があります。

2000

バランス株式会社を設立

バランス株式会社

高齢者や介助が必要な方向けの「水分補給・栄養補給用食品」の開発・販売を開始。

やさしく・おいしく栄養補給ゼリー(パウチ100g)

やさしくおいしく栄養補給ゼリー

水分・栄養補給ゼリー飲料として、エネルギー、ビタミン、水分、鉄分補給などを展開。(ビタミンプラス亜鉛補給・鉄分補給は現在終売)

口栓付きパウチとゼリー化技術
ゼリー化技術

口栓付きパウチラインの新設には、当時取り組み始めた「ゼリー飲料」の充填という目的がありました。こぼれにくく、手を汚さないという容器特性はゼリーに最適。また、少しの力で絞るだけで、誰でも吸って飲めるという点は、介護食や流動食に生かすこともできます。こうして、研究を重ねたゼリー化技術は、飲み込むことが困難な方向けの栄養補給ゼリー「やさしく・おいしくシリーズ」(ブランド推進:バランス株式会社)の誕生につながりました。

また、パウチゼリー飲料は、受託生産のラインナップにも加わり、他社にはない大きな強みとなっていきました。

トンボパウチシリーズ(パウチ300g)

パウチ飲料

アウトドアに最適なパウチドリンクを発売。スポーツやレモン、オレンジ、グレープ、アップル、グレープフルーツ、ウーロン茶の7種類を展開。(2010年にリニューアル)(現在は終売)

2002

ISO9001:2000の認証を取得

※登録組織/対象範囲:トンボ飲料グループ

2004

ミニボトル缶(100ml)ラインを新設

ボトル缶容器の特徴
ミニボトル缶

瓶に比べ、軽量で割れにくいという特徴の他、内容物の保存性(遮光性、ガスバリヤー性)に優れているという利点があります。
また、全面印刷(キャップ・ボトル)で鮮やかな外観を表現でき、機能性飲料などさまざまな飲料に利用されています。

2005
パウチライン

口栓付きパウチ飲料増産のため、高速ラインを新設。

全国シャンメリー協同組合にて児童養護施設へのシャンメリー贈呈事業を開始。

2006

5S改善活動を開始

業務改善活動の一環として導入。

5S活動の取り組み

5S(ごえす)とは、職場環境の維持改善スローガンのことで、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾」の5つの総称。トンボ飲料では、部門ごとにリーダーを配置し、各項目の徹底、改善活動を行っています。これにより、業務の効率化、不適合の未然防止、職場の安全性向上など、さまざまな面で効果を発揮。さらに全社員が携わることで、各自の意識向上にもつながっています。

2007

調合棟 完成

調合設備を刷新。新建屋にて稼動開始。

ハイレベルな調合設備
調合棟

各仕込室は充填ラインごとに個室化し、異種原料の混入を防止するとともに、クリーンルーム仕様(クラス10万)で徹底管理しています。また、設備も「ロードセル付き調合タンク」や「CIP装置」を完備。タッチパネル方式で作業の効率化が図られています。

清涼飲料に加え、果汁飲料、ゼリー飲料など、多様化する飲料製造に対応する最新鋭の設備です。

2009
1号倉庫

新倉庫(1号倉庫)完成。

2010

新・第1工場 完成

新第1工場

ガラス瓶とボトル缶ラインの全面刷新に加え、新たに3方フィルム包装ラインを追加。

3方フィルム包装の特徴
3方フィルム包装

10~20gの小容量のゼリーの充填が可能。開けやすく食べやすい、携帯しやすいのが特徴で、美容・健康ゼリーの製品提案の場を広げています。

生産効率の向上と高品質な製品作りの実現
最新鋭の設備

最新鋭の設備を導入し、従来の生産ラインに比べ生産効率は約1.5倍に。ガラス瓶は最小の20mlから対応し、幅広い容量の充填を行っています。
また、3方フィルム包装によるスティックゼリー製造ラインと、2次仕上げを行う包装室も設置。さらなる多品種・小ロットへの対応を可能としました。

2011

ラボンサイダー新発売(ワンウェイ瓶240ml)

ラボンサイダー

昭和初期に販売していた当時の商品を現代版の味わいで復刻。(現在は終売)

ISO22000:2005 認証取得

新工場を稼動するにあたり、より高い衛生管理体制を構築する目的でISO22000の導入を決定。2011年7月に認証を正式に取得。

2012

富山ブラックサイダー新発売(ワンウェイ瓶240ml)

富山ブラックサイダー

富山県のご当地ラーメン「富山ブラック」の“やみつき感”をイメージ。醤油・胡椒風味。

2号棟 完成

2号棟

2号棟は第1工場の付属建屋として「ロボットパレタイザー」「調合原料倉庫」を追加。2階には研修室・展示コーナーを併設。一連の設備の完成を通じ、「人」と「物」の導線の統一も完了した。

2013

Celeble(セレブレ)新発売

セレブレ
※画像は発売当時のものです。

アルコール0.00%。本格的な味わいのノンアルコールスパークリングワインテイスト飲料。
ノンアルコール飲料の需要の高まりと、スパークリングワインの持つ贅沢感や華やかさをそのままに、ノンアルコールを提供したいという飲食店関係者の声に応えた商品。

水処理設備を更新

水処理設備

自社工場の水処理設備をイオン交換式装置からRO膜(逆浸透膜)式に更新し、運用を開始した。RO膜式水処理装置では、イオン以外の水に不要な微粒子や有機物も除去することが可能となったため、原水中の細菌も除去することができるメリットがある。

FSSC22000 認証取得

FSSC22000認証

海外への自社製品の販売ならびに受託生産の展開を目的に、国際食品安全イニシアチブ(GFSI)が制定した世界レベルの食品安全マネジメントのベンチマーク認証規格FSSC220000の認証を取得。
※登録組織/対象範囲:株式会社トンボ飲料

2015

東京営業所を開設

受託生産の営業活動強化のための拠点として、中央区京橋に開設。

2016

金沢カレーコーラ新発売(ワンウェイ瓶240ml)

金沢カレーコーラ

石川県のご当地グルメ「金沢カレー」をイメージ。カレー・ソース風味。(現在は終売)

2018

口栓付きパウチ飲料(ゼリー)新工場完成

口栓付きパウチ飲料(ゼリー)新工場完成

2018年4月に口栓付きパウチ飲料(ゼリー)増産の為の新工場が完成。あわせて、調合設備の改修を行い、より高度な品質に対応できる体制に整えた。

JIA-GMP認証取得

JADAのサプリメント分析認証プログラムにおける生産設備の要件に使用されており、日本国内ではスポーツサプリメントの製造管理基準の一つとして取り扱われる。
※登録組織/対象範囲:株式会社トンボ飲料/パウチ容器におけるスポーツサプリメント(ゼリー及び飲料)の製造

2020

コロナ禍により対外活動を自粛し、飲料市場も縮小する。
リモートワークやWEB会議、ウェビナーなどの活用が進む。

2022

トンボ飲料部門・バランス部門の統合

トンボ飲料とバランスの各営業部門が統合し、相乗効果を狙う。受託生産部門では問題解決型を目指し、ソフトシーズの強化を志向する。  

全国シャンメリー協同組合 創立50周年

5代目社長・翠田章男が理事長を務める全国シャンメリー協同組合は、1972年の創立から50周年を迎え、記念式典が開催される。2005年から開始した児童養護施設へのシャンメリー贈呈事業は18年目となる。

2024

5月10日 トンボ飲料創業記念日

この年より、創業記念日を「5月10日」に決める。

創業記念日「5月10日」の由来

1896年5月に「翠生舎」が創業しましたが、具体的な日付までは記録が残っていませんでした。そこで、文字のシルエットや響きがトンボに似ている「10(十)日」に決定。
「十」という文字の形は、「プラス」をイメージさせる文字でもあります。

ともに歩んだロゴマーク

1920~1950年代
「翠田炭酸飲料マーク(トンボが逆立ち)」

翠田炭酸飲料マーク(トンボが逆立ち)
当社のシンボルのトンボがTMマーク(創業者・翠田辰次郎のイニシャル)に留まっています。このロゴマークは、ラムネはもちろんのこと、当時販売していたラボンサイダーやアイスクリームなどに広く使用されていました。

1950年代~1998年
「翠田炭酸飲料マーク(トンボが斜め留まり)」

翠田炭酸飲料マーク(トンボが斜め留まり)
トンボがよりリアルに、斜めに留まりました。
クリームソーダ・ドミルカやミルクコーヒーなどに使用され、銭湯や駄菓子屋さんで親しまれたロゴマークです。第一世代の「さかさトンボ」に対して「ななめトンボ」と言われています。

1999年~現在
「しずくマーク」

しずくマーク
「ココロとカラダを潤す」。トンボグループのミッションは「ひとしずく」から始まります。しずくのマークはBeverage(飲料)の「B」をモチーフとしてデザイン。トンボ飲料のマークには“美味しさ”と“爽やかさ”を表す「ブルー」を、バランス株式会社のマークには“自然”と“安心”を表す「グリーン」を使用しました。
トンボ飲料の歴史