情報は無限に我々の前に現れ、たちまちのうちに過ぎ去っていきます。
得やすいものは失いやすい
ある大学教授は、本当に学生に伝えたいことは図解では説明しないと云いました。
図解を使うほうが学生には理解しやすいのでは?と問うと、「重要な情報を、学生自身が図解で整理してみることが最も本質の理解につながる。いきなり図解を示されると分かったように思うが、実は本質の理解はされにくい。」とのこと。
なるほどと思いました。得やすいものは失いやすいのです。
情報を価値のある知識に変換するプロセス
読書会をやってみるとよく分かります。著者の主張点とそれに対する自分の意見を整理し、他人に伝える。しかも他人の意見も共有できることは深い理解につながります。
読書会に限らず、私はせっかく時間をかけて読書するので、読後はたとえ短くとも感想をメモして本に挟んでおきます。これこそ有効なタイムパフォーマンスだと思うからです。
本文を読まず、あらすじを読んで理解する。それでは、知識として蓄えたつもりでも、しばらくすると何も残らない。また、タイパと称してユーチューブの教材を倍速でみて理解したつもりになっても、それを他人に伝えることはできない。他人に伝える為には、自分で一度分解し、再構築するというプロセスが不可欠だと思います。知識というものはその本質を捉えないと長期保管、有効利用はできないのかもしれません。
具体的な情報を、抽象的な本質に変えていく。その過程でアナロジー思考が誘発され、「これって、あれと似ているな」と化学反応がおきる。そこで初めて、情報は価値を産む知識に昇華するのではないでしょうか。
タイムパフォーマンス全盛の時代、知識はすべてスマホにあるので知識のストックは不要などといわれます。しかしながら、本当に価値を産む知識の本質はスマホにはストックされていないのです。